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あかきゆめみし日記帳〜第2章〜

jugemから移動しました。 日常とSMについての自己満足的日記です。

  1. 日常の中の非日常
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何千回めかの賢者モード

分かりやすい笑

理性が飛ぶほどケダモノモードの時がヤバい。
それ以外の時は好きな人といちゃいちゃしてるだけで大満足なんだけど。

自分が病んでいた頃、確かに死にたいと思ってた。
そういう女を狙ってセックスしたい男がいることも、知らなかった。
でも変だよね、死にたいのにセックスするって。
セックスって、生きてる実感がいちばん感じられるもののはずなのにそれすらどうでもよかったよ。何にも感じなかった。
死にたいと呟く事は、助けて、と言ってるのと同義語なんだけど、自分でなんとかできるほどの余裕もなくて疲れてるから、助けてくれそうな人には自分を丸投げしますよね、そんで重たく感じられてボロボロになるまですり減らされるか、振り解かれるか。
無限ループ。

なんとか自分で這い上がろうって思える何かがあればいいんだけど。
自分は、今の会社に来たことが転機かなあ。
労働環境は、好きな人にもブラッキーと言われたほど良くないけど、ある意味緩さというものを学んで少し肩の荷が降りた。

それからは、まあなんとか。
楽しく生きられるように努力してる、というのが今の状態かな。辛いこともあるけど、あの頃よりは全然辛くない。
時折のこの波さえなんとかなってくれれば、自分に与えられた寿命は全うできるんじゃないかなあ、と思う。
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  1. 日常の中の非日常
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今日はダメな日だわ。
めっちゃ振られたシャンパンみたいで
ちょっとでも触られると、噴き出しそう。

動画より文字のほうがいいな。
とか

自分は録画とかされたくないけど、そういうのを見て羨ましくなるのも事実だから(素人さんの調教系動画は思い入れが過ぎて泣ける時がある 苦笑)
そういう関係が末永く築ける人と出会いたいなあ。
今度はコソコソしなくていいように。
表向き、普通。

でもねえ、
激しいのは、
関係が意外と早く終わってしまうから
(味の濃ゆい食べ物がずっと食べ続けてると飽きちゃうみたいなもんか)
何年かしてから実は、みたいなのが理想かも。

なかなか両方なんてないんだけどさ。

  1. 日常の中の非日常
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不思議なもので

波があるらしく、全く動画を見ても、サムネイルだけでこちそうさまになる時もあるし、そもそもそういうサイトに行かなくても全然平気な時もある。
けれど、ダメな時はダメで、何見ても何しても仕事中でも変態的妄想をして、逆さ緊縛動画とかそういうSM系動画を漁るだけ漁って見て見てるだけで欲情して止まらなくなる時もある。
木曜日くらいから今朝午前中までは、そんな飢えた状態で、なんか今はそこを抜けたみたい。
いつもこれくらいの感じならいいんだけどなあ。

  1. 日常の中の非日常
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負債

仕事のことに関しては、不満もありながらもまあなんとかこなしてる。なんのために仕事してるんだろう、みたいな状況ではない。
前が酷すぎたと思うんだけど。

今日はとあるブログを読んでてすごく刺さった。
それは、全くSMは関係ないブログだったけれど、自分の中のモヤモヤの原因が説明できそうな気がした。

はっきり言って、自分は自己肯定感は薄いんだと思う。特に、性的なことに関しては今でも否定の感情がほとんどである。
これに関しては、未だにいじめて貰わないと性的によろこべないのはおかしいと思ってて、自分の中では受け入れられてない。
受け入れられないから、そこを受け入れてくれる人を探す。周りよりも常に飢餓してるという自覚はある。環境ではなく、感情として。
それは、抱えてる罪悪感を軽くしてくれる人を探しているということになるんだけど、
これも実は、男性はあんまりこういうものを抱えてるということに罪悪感を感じない人がどうも多いようだ、と最近考えたりする。
軽くしてあげる顔で寄ってくるのは、身体目当てなんですよね。
でも常に飢餓状態、飢えて仕方ない焦りもある、だから羊被ってるのが見え見えでも、いっときでもそういう感情を持つことを許してくれるなら罪悪感は軽くなると思うからまるで蜘蛛の糸を掴むように掴んでしまう。

結局、あくまでいっときであって、ずっとではないし抱えてる罪悪感そのものは消えないんだよね。

継続的ではないけれど、カウンセリングとか、関係性を見つめなおせる本とかを読んで、日常生活の面ではだいぶ自己否定って無くなってきたけれど、
性的な部分ではどうしてもまだまだモヤモヤは続きそうです。

どうしても人肌って触れてるだけで気持ちいいですしねえ。


  1. 日常
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シェルター?

やっぱり眠れない苦笑。

いろいろ考える。
昔々、(もうそんな言葉を使わなきゃいけないのか)パソコンを使った通信は、閉じられた空間であったんだと思う。
私自身は、その次の世代から使い始めて、その頃、インターネットでの匿名性という話はずっと出てて。
まだその頃も今ほどオープンではないしビッグデータを取るという目的ではなかったから、個人を特定することは、できなくはないけどそこまでやらないという感じだった。でもやってる人はやってて、海外の串を通すのはみんながやってた自衛策だったかな。
この世界の人たちにはこの一見匿名というのがウケて、まるで筍のように一斉にそういう趣味のホームページを開設し、なかなか理解してもらえないこの趣味を、さらには病みや闇の部分までもさらけ出せて、同じものを持っている仲間と繋がり合えるようになっていったんじゃないかと思う。
使い方を誤って、日常と非日常を同じ階層に置いて家族バレした、という人も中にはいたけどね。
インターネットは、日本にとっては最初は間違いなく個人のものであって、今みたいにこんなに公的なものではなかったと思う。
私も夜な夜なチャットやメールで、だいぶ救われた部分がある。傷つくこともあったし、危ない目にも全くあってないといえば嘘になるけど。

そんな、シェルターの役割を果たしていた個人的なものが、インターネットでは匿名性が限りなくゼロに近くなりシェルターの役割は果たせなくなってきた。それに、18歳以上の証明書云々のくだりが、この趣味の人たちに大打撃を与えたことも確かだと私は思ってる。

そうなると、痰壷の役割を果たせる場所を他に探すのは当たり前のことだと思う。
それが、Twitterになるのか?と思ったりする。
仕組み的には、
wwwなものだからだれが見てるか分からない。初期に流行ったボトルメールに近いかもしれない。
けどそれが、こんな手のひらサイズで展開できるなら、自分だけの、または仲間に見える人たちだけの小さな閉じた世界だと思い込んでしまうのは当然のことだと思う。
そのうち、Twitterとか匿名で使えるSNSも匿名では使えなくなるんだろうな、と思う。
そうなると、また他の痰壷を誰かが新しく作るんだろうし、それに飛びつく人もまたいるんだろうし。
表の繋がりはますます綺麗で健全に見えるものばかりになり、その裏で不健全なものはますます不健全な繋がりになっていくんだろうな、となんとなく思います。
不健全なものを共有できるのってさ、自分の中でうまく受け入れられないところを受け入れてもらえたような気がして、その中では少なくとも否定されなくて、ずっと自己否定の中で生きてきた人にとっては自分以外の誰かから否定されてない、肯定されたって思って、なんというか、自分の中では否定なんだけど、他人が自分を肯定してくれたイコール自己肯定ができたような気になるんですよね。それはとても安心できるものだと思う。
自分でつけた自分の傷を、他人が舐めて治してくれた的な。そしてもっと舐めて、全部舐めて治してよ、と。
でも、本当はたぶんそうじゃない。
そういう人たちに本当に必要なのは、本当は、自分で治す方法を教えてくれる人なんだと思う。
その手段の一つ、通過点として傷を舐める、受け入れることは自分が病みを持ってるけどそれなりに依存せずに暮らしていけるようになるための第一歩であってほしい。

ここを間違っちゃうと、だめんずウオーク無限ループモードになるんだよなきっと。

痰壷の役割になるようなものは必要だとは思いますが、そこに全て吐けるような魔法の痰壷はないと思わないとな。みんなが少しずつお互いの小さな壷を持ちあえればいいのだけど、そんな余裕もないのが悲しくて、寂しい。

ささくれ立ったハートでぼんやりした頭で考える夜でした。

(Twitterそのものを否定する気はありません。楽しい気持ちを共有できるのもいいですよね)


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